ぼやかないつもりのメモ(ブログ Ver)

つぶやきとメモの記録。更新はぼちぼち。

なんとなく長文

最近、スポーツに関してコメントをする事をずいぶん控えてきた*1。別にスポーツを気にしていないわけではない。もともとこの日記は「たけスポ」なんていう恥ずかしいタイトルから始まっているくらい僕はスポーツが好きなのだ*2。なぜにスポーツについて書く気がなくなったか?簡単に書くとその理由は3つある。1つ目は大学院に入り、修士課程→博士課程→現在とポジションが変わるたびに忙しくなってきた事がある。書く時間が取れないのはもとより、自分でスポーツをする時間もずいぶん減った。残念ではあるが、これは仕方がない事だろう。2つ目にmixiを始めた事がある。正直、mixiで日記を書いてコメントがつくのは嬉しい。コメントというか、反応がある事が嬉しい*3。このおかげで今までははてなだけだった内容がはてなmixiに書き分けられるようになり、ずいぶんとはてなにまわってくるネタが減った。3つ目はスポーツ専用のニュースサイトやブログが流行り、スポーツネタを丁寧に書く人が増え、適当に書きなぐるのが恥ずかしくなった事だ。これは喜ばしい事だろう。自分がいろいろ調べてからしか書けなかった頃に比べ、ちょっと丁寧なニュース、エッセイ、ブログをRSSリーダに入れておけば、簡単にしかもなかなか知る事が大変な面白い情報まで含めて手に入るようになったのだから。
ところが、この3つ目に関して最近ちょっと怖くなってきた。いや、最近というわけではないか。結構前からその兆候はあったと思う。なんというか、こういうサイトを運営している人の中に、自分と同じ考え方以外を許容しない、許容できない人が増えてきたのだ*4。もっとも顕著にそれが現れたのが亀田ネタとジーコ、川渕ネタだろう。亀田ネタにいたっては、亀田すごいと書いただけで、上村愛子さんは謝罪までする羽目になった。別に「感想をちょっと書いただけで」だ。人は千差万別。今の日本人は個性がないなんてマスコミに嘯かれても、そもそも同じ人なんていない。個性のない人なんていないのだ*5。同じ事象を千人が見れば千の、万人が見れば万の見方、感じ方がある。亀田の試合だって、個人の中で勝ちの判定をしていた人もいるはずだ*6。川渕デモの話題の中で、「ネット上で批判をする人ほど、自分が批判されるのに耐えられない」という趣旨のエントリーを見た*7。かなり的を得ている気がした。批判する人の自由な意思を否定するつもりも無いが、その意見を公開する以上、その意見に対しても批判がある事を認識すべきだろう。「批判→意見のぶつけ合い→(議論*8)→ある種の尊敬」という流れに向かう途中であるのならば問題はない。しかし、今のこの現状は「批判→意見のぶつけ合い→無視、またはあげ足取りの繰り返し」になっている気がする。自分はそんな中にとても飛び込んでいく勇気はない。願わくばいい方向に収束し、スポーツを話題として取り上げるブログやコラムの更なる発展を願いたい。
8月23日追記
こんな事を書いていたら亀田、ランダエタの再戦が決まった。本当に何もしていなかったら世論がどうなろうと放っておいていいと思うんだけどなぁ…。やっぱりなんかあったんかなぁ。

*1:最後に言及したのが2006/7/6のWimbledonの記事になる。

*2:たけスポ→日々のぼやき→打倒!ねーちゃりすと→ぼやかないつもりのメモ

*3:とはいえ、1つ目の理由があるので、mixiでもそれほど頻繁な更新はできていない。

*4:実際にはブログなどだけでなくテレビの中でもひどい事になっていると思う。

*5:たとえ、同じメーカー、同じ食べ物、同じタイプ、ほとんどの嗜好性が同じだとしても、絶対に人は個人は個性を持っている。まったく同じなんて今まで見た事も聞いた事もない。何をもって個性とするかは違うかもしれないが、それでもまったく同じなんてありえない。

*6:同様に八百長以外に見えない人もいてしかるべきだ。参考: 亀田世界戦、ボクシング関係者80人の判定

*7:残念ながらブックマークしなかった…orz

*8:なくてもいい気がするし、この日記ではしない